自己完結
自己完結
ほとんどのスポーツは人間が相手です。
ゴルフ、サッカー、野球、格闘技・・・。
ほとんどのアートも実は人間相手です。
絵、音楽、小説、陶芸、建築、映画・・・。
ビジネスはまさに人が相手です。
動物や自然相手にビジネスは出来ません。
対する人間に勝つ、対する人間に認めてもらう、対する人間の役に立つ、対する人間に感動を与える・・など、最終的には人が対象になるんですね。向こう側に人がいなければ成り立ちません。
私達を取り巻く日常的な出来事。社会、政治、教育、暮らし、受験、就職、差別、病気、お金、進歩・・全ては人という枠の中での行為です。
釣りは、まず魚が相手です。
釣り上げた事によって、魚に認められた満足感がほとんどを占めます。
ただ、そこにギャラリーがいると自慢というレベルの満足感がさらに増すことは確かです。
しかし、基本は魚相手。人ではありません。
試行錯誤し、やっとの思い出釣り上げた時、達成感、充実感、幸福感を感じます。
自己完結の意味はそこにあります。
あくまで、人は二次的な要素である、と言う事です。
ハンティングと似ているのではないかと思います。
というかハンティングなんだと思います。
小さな達成感、自己完結、満足感を常に連続して感じられる事が、
人を釣りに向かわせるのだと思います。
連続して、繰り返し繰り返しその想いを感じられることが大切な要素なのでしょう。
そしてその想いは、釣りを離れ日常生活に戻った時も心の奥深い場所で、繰り返し繰り返し連続して流れ続けます。
河の流れが途絶えないように。