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何故人は魚釣りに行くのか?

何故人は魚釣りに行くのか?

理屈じゃないんだよ、と言われればそれまででしょうが、ちょっと考えてみたい気がします。

少しずつ、書き足していきます^^。

■皆さんはどう感じ、どう考えているのでしょうか?
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本能的なもの・・・?

  • 投稿者:ミッキーフィン (2009-06-08 (月) 22:09:57)

はじめまして、先日メールにて連絡しましたミッキーフィンともうします。
どうぞよろしくお願いします。
小学生の頃より何らかの釣りは続けてきました。10年前よりフライフィッシングにはまり、今では本流のスペイにはまっています。
前置きはさておき・・・。
なかなか深いお題ですね・・・。
私が思うに・・・ものの溢れる今の社会における現代人は、お腹を満たすには店に行き好きなメニューを注文すればいい、或いは好きな食料を購入して思いついた料理にして食べればいい。
でも、人間の狩猟本能としての「いのち」を頂いている実感に欠けるのではないか・・・と思います。

魚釣りは本来、食べるために魚を釣るハンティング。釣った魚を持ち帰って食べる。それが魚釣りの本来の姿なのだと思います。昔の人々は、もっと釣れる手段や方法を常に模索していたでしょう。そこから、現在の漁業へと繋がる。大量に漁獲しその魚が我が家の食卓に上がる。
では魚釣りの必要性はもうすでにないのではないか・・・いやいや、消えることなくいまだ発展を続けている。ならば、いまや釣りはハンティングではあるが、別の側面の必要性として「本能を満たすものである」と言えるのではないでしょうか。

自分の家と会社の往復、日常の空気感に耐えられなくなるとお気に入りのフィールドに向かいたくなる。その理由の一つとして挙げさせて頂きました。
みなさんはどうでしょう?

コメント

  • ミッキーフィンさん、こんにちは。書き込み大変ありがとうございます。自分で言うのも何ですが、私もこのお題に関して、一言で言い当てる言葉を捜しましたが難しいですね。「本能」いい言葉ですよね。どんなにお腹いっぱいご飯を食べても次の日は腹ペコです。どんなに心が満たされた瞬間があっても次の日には又、心は飢えると思うんですね。満たしても満たしても飢え続ける。で、また満たそうと「釣りに行く」というのも、一つの理由かなと思いました。もう一つ私の場合は、継続するワクワク感ですね。今この瞬間もそうですし、釣行前夜は、更に何だか訳わからずワクワクします。ワクワク感も色々理由はあると思いますが、これも本能ですよね。本能が喜んでいるというか・・。じゃぁ、本能って何なの?という話になりますが、よく分かりません。DNAとかそういう分野の問題でしょうか。あまり深入りする前に、お後が宜しいようで・・。^^ -- 管理人しょうぶ 2009-06-10 (水) 00:11:57
  • しょうぶさん、こんばんは。 -- ミッキーフィン 2009-06-10 (水) 18:31:10
  • あら?失礼しました(^^;) -- ミッキーフィン 2009-06-10 (水) 18:32:29
  • あらあら?失礼しまくりですね。癖で改行しちゃうんですね(^^;)お題について難しく考えすぎましたね(^^;)ワクワク感・・・釣行前にフライを巻いている時なんてまさにそんな感覚ですね!「明日は一日お休み、さあ、何をやりたい?」って聞かれたら、自分はすぐに「フライフィッシングを楽しみたい」って言うだろうな。もちろん、フライをとりまくすべてのモノ・コトをただ純粋に楽しみたいと思っていますよー。 -- ミッキーフィン 2009-06-10 (水) 18:51:08
  • ミッキーフィンさん、こんばんは。コメント欄が小さすぎて書き込みしずらいですよね。すみません。時間を見て設定を直してみます。「深入りする前に」と書いたのは、実は私はそういった事が一番知りたい題目だったりします。「命を頂いている実感に欠けるのではないか」という言葉は、まさにそうだと思います。スーパーで、肉がきれいにパックされて切り売りされていますが、魚・豚・牛・鳥を殺している訳です。しかし、我々は殺している現場を見ることはまず無いですよね。壮絶なドラマがあると思うんですね、そこには。その現場には確かに動物を殺すことを生業としている人たちがいる。しかし、そういう背景を考えながら肉を買う人はおそらくいないでしょう、一般的には。どういう思いで毎日殺し続けてるのか・・。こういった観点を持てたのも、フライフィッシングを始めてC&Rをしながらです。会社と家とスーパーの日常では気付かないであろう現実に、ハッと気付いて立ちすくむ事もあります。アラスカの原生林が日本人の手によって壊滅しつつあるという現実も、フライフィッシングを通して知りました。木を殺し続けているわけです。で、更に教育まで考えは及びます。こういった事実を教えてくれる学校やコミュニティーが日本に存在するのかな?と疑問に思うのです。国語や算数はその次でいいのではないかとさえ、思ってしまいます。いきなり牛を殺す現場を見せるのは極端にせよ、釣りを通してその感覚や視野は広がるはずです。そして、フライフィッシングは釣りの中でも創造力を鍛えてくれる要素が大変多いと感じています。そんなこんなで取り止めもなく続いてしまいますが、まだまだ分からない事だらけです。皆さんもどうぞ遠慮なく意見を交換してください。 -- しょうぶ 2009-06-11 (木) 00:05:22
  • しょうぶさん、こんばんは。わたしも釣りを通して様々なことを学ばさせてもらっているのだな・・・と最近つくづく思います。危険と隣り合わせ・・・ということも忘れてはならないことですよね。日常では毎日同じコトの繰り返しで、危険というものに麻痺してしまうような気がします。車は止まってくれるだろう・・・とか、マスコミの記事であったり特集を鵜呑みにする・・・とか。マニュアルを重んじるとか。でもそれは違うんじゃないかなって気づいたのはお恥ずかしながらごく最近です。釣りをしていると自分が主体で、次に何をするか、こういった場合はどうするか、決めるのは自分自身。そして、その結果は自分自身に返ってくるのだということも、よく理解できてくるのです。危険と隣り合わせなんだなってこともよーく、身にしみます。痛い目に遭うことだってあります。でも、それでめげては私の釣りは終わってしまう・・・。ならば、次の対処法を自分で考える。この積み重ねが厳しい自然を相手にしているんだっていう理解に繋がっていき、そこから思い出やその釣りに対する愛着であったり、面白さに続いていくんじゃないかな。なんて、つらつらと書いてはいますが、まだまだ私自身青二才。これからも深めていきたいと思っております・・・。 -- ミッキーフィン 2009-06-18 (木) 20:22:13
  • ミッキーフィンさん、こんばんは。生きるということ自体が大きなリスクを背負っているはずなのに、なかなかそれを察知できないのが人間ですよね。今日と同じ日々が永遠に続くような感覚が私もいつもあります。しかし実際は有限であるわけで、誰が言っていたのか忘れましたが「ローソクの炎が消えぬ間に生を楽しめよ」という事なんでしょうか・・。夏の日の夕暮れにちょっと釣りをする日常って、何だか豊かな感じがします。 -- しょうぶ 2009-06-26 (金) 23:25:45
  • しょうぶさん、こんばんは。「蝋燭の炎が消えぬ間に生を楽しめよ」・・・いい言葉ですね。開高健さんも似たようなことを仰っていたように記憶しています。一生懸命に釣りをしていると、自分を俯瞰で見ているような感覚に陥ることがあります。「ラインの先にだけ集中しなさんな、もっと周りを見る余裕を持ちなさい」とまるで誰かに言われているようで、ハッとするのですが・・・。「本能的なモノ」とはいいながらも鱒に出会えればいいというだけではないのでしょうね。結果的に出会えたらいいな・・・くらいなのかもしれません。開高さんの言葉を借りると「Great escapeである」ということなのかもしれません。 -- ミッキーフィン 2009-07-04 (土) 21:29:17
  • 開高さんは、基本的にはルアーの人なのに、FFmanさえも魅了する人間力がありますね。最近こういうスケールの人が出てこないのは少し寂しい感じです。というかそうそうこのレベルまで到達することは容易ではないですよね。数いるフライフィッシャーマンを飛び越えて開高さんにワープする事が私も結構多いです。 -- しょうぶ 2009-08-08 (土) 17:59:16

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