フライとそれぞれの主観
フライとそれぞれの主観
道路を車で走っていると、よく犬や猫などの動物の死骸を
あわてて回避する事がありますよね。
気持ち悪い、と思います。
それが、もし豚や牛や鳥だったとしてもなおさら気持ち悪い。
(豚や牛が道路で轢かれることはそうないと思いますが・・)
しかし、その同じ肉が包丁でさばかれ、ラップに包んでスーパーの店頭に並んでいると「おいしそう〜」に変わります。よだれが出ます。
まったく同じ肉だとしても。
焼き肉屋で、ホルモンやミノやこぶくろを頼みますが、腸です。
道端で、死骸からはみ出たものと一緒です。
つまり、主観が180度感じ方を変えているのです。
同じものでも、そのシチュエーションでどうにでも変化します。
そしてフライのマテリアルですが・・・、
動物の死骸です。
鹿の死骸。鳥の死骸。ウサギの死骸。
コックネックハックルなんて、気取って言っていますが・・、
下手をすると、頬ずりなどしたりもしますが・・、
さらに、あの動物臭が、かぐわしかったりしますが・・、
死骸の一部です。
人間の持つ主観。
勝手な解釈。
身勝手さ。
いと可笑しき、ですね。
で、です。
魚にも同じ感覚はあるんじゃないだろうか、と。
例えば、同じ赤でもそのシチュエーションや他のマテリアルとの
関係で、魚にとって美味しそうでもありえるし、気持ち悪いぐらいまずそうに映る事もあるのではないかと。
同じマテリアルを使っても、そのまま巻いたのと、何かしらのラップをしたものでは、魚の受け取り方が180度違う場合もあるのではないかと、こう閃いた訳です。
ドラッグが掛かった流し方は、魚は気持ち悪いのです。
でもそのシチュエーションによっては、動きがないと
気持ち悪くて、魚はそれを食べないのです。
魚にとって、ご馳走に映る環境はどういったところから来るのか?
結構面白いと思うのですが。
単なる閃きですが、
ほぼ、こじつけですが、
こういう考え方もあってもいいと思うのですが、
どうでしょうか?
一応、忘れないように記録しておきます。